「あまがみエメンタール」

あまがみエメンタール (一迅社文庫 み 3-1)

あまがみエメンタール (一迅社文庫 み 3-1)

何だろう、この心ふるわす物語。読んでる最中も、読み終わった後も、ぞくぞくしたものが止まらない。今年読んだ中で最高の小説だわ。ひょっとしたら、ここ数年のベストかもしれない。前に読んだ「フォルマント・ブルー リミックス」がそこそこ面白かったので、何か別のも読んでみるかと手を出したら、このどストライク。これは残りの著作を読まざるを得ない。
外界から隔絶された全寮制の小中高一貫高の女学院で、2人の少女が行う甘い儀式。ロリータファッションの肉食少女・莉子は、今日もルームメイトの心音に歯をたてる。脚や腕、あんなところやこんなところ。2人は互いに求めあい、それは甘い甘い傷を残すのでした。と、この紹介だと、まるでただの18禁百合小説のようですが、そういう訳ではないです。わかりやすい単語を挙げるなら、共依存でしょうか。最初、莉子はママの代償を求めて心音に噛みつき、心音は自分を必要としてくれる莉子に身体を許します。しかし、時間の経過と共にそれは変化していき……。もうね、これは美しい甘い愛の一形態なのですよ。“あまがみ”というには行為が痛々しいだろ、なんて意見もあるでしょうが、この“あまがみ”はそんな即物的行為のあまがみではなく、もっと精神的な互いへの甘さを込めた“あまがみ”なのですよ。いやぁ、もう全てが美しい。
他に気になった点について触れると、ロリータファッションについては、莉子にロリータへの自覚的精神は見られないものの、本来ロリータが向かおうとしているべき原点位置に自然に存在している、という意味でやっぱり莉子は自然にロリータなのかなと思います。でも多分作者は、莉子に、ロリータファッションにロリータとしての意味をもたせようとしていないでしょう。だからこそ、莉子のロリータファッションはロリータファッションとしてだけしか意味をもたず、それ故、莉子は無自覚に自然にロリータなのです。そして、それが莉子を美しく魅せているのです。